感情が揺れるとき、私たちはどう生きる?

こんにちは。まなびや たぬき堂のたぬきです。

「昨日はやる気に満ち溢れていたのに、今日は何もする気が起きない」

「人と話して嬉しい気持ちになったはずなのに、その帰り道でなぜか少し寂しくなる」

「頭ではわかっていても、体が動かず、心がどこか遠くにいるような感覚」

そんな経験をしたことがあるでしょうか?

何か大きなきっかけがあった訳でもないのに、この「揺れ」はいったい何なのだろう?

私たちは、この揺れとどう向き合えばいいのだろう?

今日は、そんな「心の揺れ」について、ゆっくりと深く考えたいと思います。

心が揺れることは、悪いこと?

私たちは、安定していることを「良いこと」として教えられてきました。

毎日同じ時間に起きて、同じように働いて、同じように成果を出す。

感情もできれば一定で、穏やかで、乱れない方がいい。

そんなふうに思ってしまうのは、きっと社会の中で「揺れ」があまり歓迎されていないからかもしれません。

世間では「クールで落ち着いた人」がカッコいい人と評価されることも多いです。

でも、自然界を見てみると、風は揺れ、波は寄せては返し、木々は季節ごとに色を変え、空は一日の中でも何度も表情を変えます。

自然界の中では、揺れは、むしろ「生きている証」なのではないでしょうか。

それなのに、私たちは自分の揺れを「ダメなこと」として扱ってしまう。

何もできない日を「怠けている」と責めたり、気分が沈んでいる自分を「弱い」と感じたり。

でも本当は、その揺れの中にこそ、私たちの“人間らしさ”があるのかもしれません。

揺れの中にある誠実さ

私は最近、久しぶりに恋愛漫画を読みました。

若いときには読むこともありましたが、歳を重ねるにつれ、恋愛漫画を読むことはなくなっていました。

最近では、恋愛漫画は若い人が読む「夢物語」。

そんなぐらいに思っていたのです。

実際に読んだその漫画も、現実にはないようなシチュエーションで話が展開されていきます。

でも、読み進めていくうちに、ふっと心が動かされるような感覚を感じることがあったのです。

主人公は、決して“綺麗な性格”ではありませんでした。

不器用で、失敗ばかりで、時に相手を困らせるような言動もありました。

彼女は、完璧ではない。

でも、一所懸命で、真っすぐだった。

綺麗な人間ではないけれど、その不器用さの中に、誠実さを感じ、心を動かされたのです。

心が真っすぐであることとは

“真っ直ぐでいたい”と思うことは、時に自分の本音を隠してしまいます。

「綺麗な心でいたい」
「好かれる人間でありたい」
「しっかりした人だと思われたい」

そんな心が、”本当の自分の気持ちを見せてはいけない”と思わせてしまうのです。

でも、「真っ直ぐって、完璧であることじゃない」と、私はその恋愛漫画を読んで思ったのです。

心が真っすぐであることは「本音に誠実」であることなのかもしれません。

心が真っすぐな人とは、”揺れながらも自分の気持ちに向き合っている人”。

その姿こそが、私たちの心に響くのではないでしょうか。

揺れを受け入れるということ

ある日、私は何もできない自分に落ち込んでいました。

前日はあんなに集中できていたのに、今日は何も進まない。

「昨日の自分は本物で、今日の自分は偽物なのか」

そんなふうに思ってしまうかもしれません。

でも、少しずつ気づいてきました。

昨日の自分も、今日の自分も、”どちらも本物”なのだと。

揺れているからこそ、私たちは変化し、その変化の中で何かを見つけていく。

揺れは、ただの不安定さではなく、自分の内側で何かが動いている証なのかもしれません。

たぬき堂の問い

まなびや たぬき堂は、問いから学ぶ場所です。

だからこそ、今日のテーマも、問いとして残してみたいと思います。

• 感情が揺れるとき、あなたはどうしていますか?

• その揺れを、どう受け止めていますか?

• 揺れの中に、どんな意味を見出していますか?

答えは、すぐに出なくてもいい。

問いを持ち続けることが、すでに“生きること”の一部なのです。

おわりに 揺れながら生きるという選択

私たちは、揺れながら生きています。

ある日は前向きで、ある日は後ろ向き。

ある日は誰かと話したくて、ある日は誰にも会いたくない。

そのすべてが、私たちの“生きている証”です。

たぬき堂は、そんな揺れを否定せず、そっと受け止める場所でありたいと思っています。

整っていなくても、カッコよくなくても、その日その日の心のかたちを、そのまま見つめられるように。

今日のあなたは、どんな揺れの中にいますか?

その揺れに、どんな意味を見出しますか?

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