年末の紅白歌合戦が終わると、SNSにはすぐに感想が流れ始めた。
「司会が下手だった」 「演出が良かった」 「今年は微妙」 「最高だった」
賞賛も批判も、あっという間にタイムラインを埋め尽くす。
そのスピードは、もはや“反射”に近いかもしれない。
もちろん、何を思うかは個人の自由。
好き嫌いがあるのは自然なことだし、感想を持つこと自体は悪いことではありません。
ただ、SNSに書かれた言葉は、思った瞬間の感情よりもずっと強い力を持つ。
たとえ善意の言葉であっても、読む人の文脈によっては誤解を生む。
そして、その誤解がまた別の反応を呼び、空気が荒れていく。
最近のSNSを見ていると、「誹謗中傷は悪意のある人だけがするもの」 という単純な話ではないと感じます。
むしろ、 “軽さ”と“断言”が当たり前になった空気の中で、 誰もが加害者にも被害者にもなり得る。と思います。
では、なぜこんなにも簡単にダメ出しが飛び交い、空気が荒れてしまうのか。
今日は その背景を、少し丁寧に見ていきたいと思います。
なぜ人はすぐにダメ出しをするのか
人はなぜ、こんなにも簡単にダメ出しをしてしまうのだろう。
その理由は、心理と社会構造の両方にあると思う。
まず一つ目の理由は、ダメ出しは簡単で、即時的で、気持ちがいいことです。
「ここが良くない」「これはダメだ」と言うのは、とても楽です。
理由を深く考える必要もないし、責任も伴わない。
ただ“評価者”の立場に立てばいい。
そして、批判は一瞬だけ“自分の立場が上がったように錯覚できる”。
自分より大きな存在を批判すると、相対的に自分が上に立ったように感じる。
これは人間の心理として自然な反応と言えます。
2つ目の理由は、SNSは誰でも簡単に「評価者ごっこ」ができる環境になっていることです。
テレビ番組、映画、政治、芸能人、企業、一般人。
あらゆるものが“評価対象”になり、 誰もが“評論家”のように振る舞うことができます。
さらに3つ目の理由は、 正解探しの社会では、他人の“間違い”を探す癖がつく ということです。
学校でも職場でも、正解を求められ続けると、 人は「間違いを見つけること」に敏感になります。
その癖がSNSにも持ち込まれ、「粗探し」や「ダメ出し」が日常化してしまうのです。
まとめると、 ダメ出しが増えているのは、個人の悪意ではなく、社会の構造と空気の問題 だと言えるのかもしれません。
SNSの“軽さ”が空気を荒らす理由
SNSの最大の特徴は、思った瞬間に書けてしまう“軽さ”です。
- 考える前に投稿できる
- 一瞬の感情がそのまま言葉になる
- 反射的な投稿が、反射的な反応を呼ぶ
- 文脈がないまま拡散される
この“軽さ”が、言葉を“強いもの”に変えてしまう。
SNSでは、 言葉が「つぶやき」になり、その何気ない「つぶやき」が多くの人に拡散されることで「攻撃」に変わってしまう。
しかも、それが善意の投稿であっても、 文脈を失うと攻撃の材料になることがあります。
「司会が上手かった」 という賞賛の言葉でも、 “そう思わない人”を刺激して対立を生むのです。
つまり、 SNSの軽さは、善意も悪意も関係なく、空気を荒らす力を持っている のです。
「これは○○だ」と言い切る風潮が、分断を生む
SNSの“軽さ”が広がると、 次に増えるのは “断言する言葉” です。
「これはダメ」 「これは最悪」 「これは神」 「これは正しい」
断言は強い。
強い言葉は、空気を支配し、 分断を生み出す。
断言には余白がなく、 余白がない言葉は、人を排除してしまう。
- そう思わない人が入り込めない
- 違う意見が言いづらくなる
- 「正しい/間違い」の二択に押し込まれる
- 反対側の人が“敵”に見えやすくなる
本来、世の中の多くのことは答えが一つではありません。
好みも価値観も、状況も背景も、人によって違う。
それなのに「これはダメ」と断言してしまうと、 多様であるはずの世界が狭くなってしまう。
そしてその狭さが、空気を悪くするのです。
しかも、断言は誤解を生みやすい。
たとえ善意の意見であっても、 断言の形になると、読んだ人をミスリードすることがあります。
「司会が下手だった」 「演出が最高だった」という投稿は、 どちらも“個人の感想”なのに、 断言すると“事実”のように見えてしまうのです。
こうして、断言の連鎖が空気を硬くし、 誹謗中傷が生まれやすい土壌ができてしまう。
そして、断言が増えるほど、 人は「自分の意見を守るために攻撃する」ようになる。
本来、意見は守るものではなく、 ただ“置く”もの。
けれど、“断言の空気の中では、 置くことよりも、戦い守ることが優先されてしまう”のです。
誹謗中傷をなくすには、空気と構造を変える
SNSでは、その軽さゆえに、悪意を持った攻撃だけでなく、 “ただ思ったことを書いただけ”という軽い行為が積み重なって誹謗中傷に繋がってしまう。
誹謗中傷は、個人の悪意ではなく、“空気と構造の問題” です。
だからこそ、「悪い人を責める」だけでは何も変わらない。
必要なのは、“空気そのものを変えること” です。
そして、空気を変えるために必要なのは、 大きな改革でも強いルールでもありません。
一人ひとりの“小さな丁寧さ” です。
- 思ったことと書くことは別
- 書く前に一呼吸置く
- 自分の言葉が誰かをミスリードしないか考える
- 誤解を生まないように文脈をしっかりと書く
- 断言ではなく余白を残す
- 多様な意見がある前提で言葉を選ぶ
強い言葉ではなく、 余白のある言葉を。
断言ではなく、 静かな問いを。
攻撃ではなく、 誠実さを。
そんな空気が少しずつ広がれば、 誹謗中傷は自然と減っていく。
私たち一人ひとりの小さな丁寧さで、空気は変えられる。
そう私は思います。
「弱さ」を出せる場所では、攻撃は生まれない
誹謗中傷が生まれる背景には、 人が弱さを出せない空気があります。
自分を守るために、誰かを傷つけてしまう。
自分の不安を隠すために、強い言葉を使ってしまう。
SNSは弱さを出しにくい場所。
だからこそ、強い言葉が増え、 断言が増え、誹謗中傷が生まれやすくなる。
反対に、安心して弱さを出せる場所では、 人は他人を攻撃する必要がなくなる。
自分を守るために誰かを傷つける必要もなくなる。
「わからない」と言えることー
「不安だ」と言えることー
「迷っている」と言えることー
「自信がない」と言えることー
こうした弱さが許される空気は、人をやわらかくする。
弱さを恥じるのではなく、弱さを抱えたまま静かに座っていられる場所。
弱さを否定するのではなく、弱さを抱えたままそっと灯りを置ける場所。
弱さを責めるのではなく、弱さを抱えたまま誰かとつながれる場所。
そんな空気が広がれば、誹謗中傷は自然と減っていく。
おわりに
誹謗中傷は、悪意だけで生まれません。
SNSの軽さ、断言の風潮、正解探しの文化、弱さを出せない空気、 文脈の欠落、反射的な投稿。
こうした要素が積み重なって、空気が荒れてしまいます。
だからこそ、空気を変えるためには、 “一人ひとりの小さな丁寧さ”が必要です。
「断言ではなく、余白を残すこと。」
「攻撃ではなく、誠実さを選ぶこと。」
「反射ではなく、一呼吸置くこと。」
「正しさではなく、対話を大切にすること」。
一人ひとりの小さな丁寧さで、空気は変えられる。
そしてその丁寧さは、静かに、しかし確実に、世界の空気を変えていく。
たぬき堂は、その変化のはじまりにそっと寄り添う灯りでありたいと思っています。
