世の中は変えられるのか?─どうせ無理と思ったときに

こんにちは。まなびや たぬき堂のたぬきです。

「世の中は変えられるのか?」

今日は、この問いについて考えてみたいと思います。

変えたいと思う瞬間は、誰にでもある。

職場の空気、制度の矛盾、社会の不条理ー

「なんでこんなことになってるんだろう」と思うことは、日々の暮らしの中に静かに潜んでいます。

でも同時に、「どうせ無理だよ」「言っても変わらないよ」という空気も、どこかに漂っている。

それは、諦めでもあり、自衛でもあり、そして、傷つかないための優しい防御でもある。

たぬき堂は、そんな「変えたいけど、どうせ無理」と思ってしまう心に、そっと灯りをともしたいと思うのです。

世の中は変えられる―しかも専門知識もいらない

私は、「世の中は変えられる」と思っています。

しかも、それは高度な専門知識な必要ないのです。

世の中を変える力は、知識や技術よりも、“こうしたい”という思いに宿る。

「こうあってほしい」「こういう空気になってほしい」という願いが、変化の種になる。

それは、誰かに認められる必要も、肩書きがある必要もない。

ただ、心の中に灯った小さな違和感や希望が、変化の始まりになる。

たとえば、パナソニックの創業者・松下幸之助が最初の頃に手がけた仕事。

今の目で見れば、技術的にはそれほど難しいものではなかった。

でも、その時代に「それをやろう」と思った人がいなかった。

だからこそ、売れた。

だからこそ、変化が起きた。

つまり、変化は「できるかどうか」ではなく、「やろうと思うかどうか」で始まる

そして、「誰もやっていないからこそ、やる意味がある」

今の世の中にも、同じことが言えると思うのです。

新しい技術や制度が必要なのではなく、新しい空気をつくろうとする人が必要なのです。

空気を変えるのは、地道な努力

空気を変えるのに必要なもの。

それは、SNSで軽やかに発信することではなく、

もっと地道で、泥臭く、手を動かし続けること。

たとえば─

誰も見ていないところで、古い仕組みを一つひとつ見直す。

「それは無理だよ」と言われても、現場で小さな改善を積み重ねる。

一人一人と会話して、不満や違和感の声に耳を傾ける。

そうした積み重ねが、やがて空気を変えていく。

誰かが「前より話しやすくなった」と感じる。

「このやり方、ちょっといいかも」と思う人が出てくる。

そして、少しずつ、見えない壁に風が通り始める。

変化は、派手な改革ではなく、誰かが地面に手をつけて動かした一粒の土から始まる。

それは、専門知識や肩書きではなく、

「こうありたい」と願う人の、静かな実践によって生まれるのです。

「自分だけじゃなかった」と思える瞬間。

「言ってもいいんだ」と感じられる空気。

変化は、目に見えないところで、静かに始まっているのです。

そして、その灯りがまた、別の誰かの空気を変えていく。

変えようとすると立ちはだかる“謎の組織”─その正体は

何かを変えようとすると、まるで“謎の組織”が立ちはだかっているように感じることがあります。

上の人が動かない、制度が固い、空気が重い。

まるで見えないボスがいて、変化を阻んでいるような感覚。

でも、実際にはそんな組織は存在しません。

あるのは、空気を読む風見鶏な人々。

変化を怖がる心。

「誰かがやってくれるだろう」と思う依存。

「今のままでいい」と思いたい安心感。

それらが積み重なって、“見えない壁”のように感じるだけなのです。

だからこそ、私は思います。

その壁を壊すのではなく、風を通すように、静かに空気を変えていくこと。

それが、やさしい灯りの役割なのではないか、と。

変えようとする人への風当たり─静かな抵抗の話

声を上げる人が「面倒くさい」と言われる空気。

「空気を読め」と言われる圧力。

「そんなこと言っても無駄だよ」と笑われる場面。

それは、変えようとする人への静かな抵抗です。

誰かが動こうとすると、周囲の不安が揺れる。

だからこそ、変化を止めようとする力が働く。

でも、私は知っています。

その抵抗の中にも、実は「変わってほしい」という願いが眠っていることを。

声をあげていないだけで、心では変わってほしいという人がいるのです。

そういう人がいるかぎり、あなたの思いは必ず伝わります。

あなたの思いが世の中を良くするものであるなら、必ず賛同してくれる人はいます。

変える前に、まず知ること──過去を尊重するという誠実さ

世の中を変えようとするとき、

まず必要なのは、「今までの経緯をよく知ること」。

なぜこの仕組みができたのか。

誰が、どんな思いでこの制度を守ってきたのか。

どんな背景があって、今の形になっているのか。

それを知らずに「古いから変えよう」「非効率だから壊そう」と言ってしまえば、

それはただの破壊になってしまう。

変えることは、否定ではなく、敬意を持って問い直すこと。”

過去を学び、理解し、それでも変える必要があると判断したときに、

初めて“誠実な変化”が生まれるのだと思います。

そしてもうひとつ、大切なことがあります。

変えようとするとき、現状維持を望む人や反対する人に対して、

暴言を吐いたり、言葉で打ち負かそうとしてはいけない。

たとえ議論に勝って、制度を変えたとしても、

相手の心が置き去りになっていたら、それは本当の変化ではない。

変えるとは、勝つことではなく、広げること。

ちゃんと会話して、相手に知ってもらって、納得してもらって、

そのうえで、少しずつ空気を変えていく。

それは時間がかかるし、効率は悪いかもしれない。

でも、そうして生まれた変化は、誰かの心に根を張り、

やがて、静かに、確かに、広がっていくのです。

「どうせ変わらない」と思う気持ち─諦めと自衛の話

「どうせ変わらない」と思う気持ちは、傷つかないための自衛でもあります。

期待して裏切られるより、最初から期待しない方が楽。

声を上げて無視されるより、黙っていた方が安全。

その気持ちも、たぬき堂は否定しません。

むしろ、そっと抱きしめたいと思うのです。

でも、その諦めの中にも、変わってほしいという願いが眠っている。

「本当はこうなってほしい」「でも言えない」─

その静かな願いに、たぬき堂は寄り添いたい。

変えるのではなく、変わっていくことに関わる。

それだけでも、十分世の中を変える力になるのです。

おわりに─世の中は変えられる。やさしく、確かに

世の中は、すぐには変わらない。

制度も文化も、空気も、簡単には動かない。

でも、誰かの思いが、空気を少しずつ変えていく。

誰かの願いが、見えない壁に風を通していく。

今日も、誰かの「変えたいけど諦めかけた気持ち」に、静かに灯りをともせますように。

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