こんにちは。まなびや たぬき堂のたぬきです。
最近FIRE(ファイヤー)という言葉をよく耳にするようになりました。
FIRE(Financial Independence, Retire Earlyの略)とは「経済的自立と早期退職」を意味する言葉です。
働かなくても生きていける状態をつくり、できるだけ早く仕事を辞めて、自由な時間を手に入れる。
そんなライフスタイルが、近年注目を集めています。
SNSや書籍でも、「FIREこそ理想の生き方」「FIREを達成した人は勝ち組」といった言葉が並びます。
資産形成、節約術、投資戦略など─
FIREを目指すための情報が世の中にたくさん出回ってます。
けれど、ふと疑問に思うことがあります。
FIREとは、本当に「働かなくて済むこと」なのでしょうか?
それが、ほんとうの自由なのでしょうか?
そして、それは「幸せ」と呼べるものなのでしょうか?
ということで、
今日は「FIREの本質」ついて、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
働くことの意味 ─分担という視点から
たぬき堂では、以前「なぜ働くのか?」という内容の記事を書きました。
その中で、働くことの本質を「分担」として捉える視点を紹介しました。
働くというのは、自分の得意なことやできることを行ない、社会の誰かの役に立つこと。
そして、自分もまた誰かの働きによって助けてもらっている。
働くことは、そんな“分担の輪”に加わることです。
この分担の輪は、共同生活の根っこにあります。
誰かが食べ物を育て、誰かが道を整え、誰かが荷物を届ける。
それぞれが自分の役割を果たすことで、社会は静かに回っていきます。
そこにもし、
「働かなくていい」という考え方が出てきたらー
「分担の輪から抜ける」人が出てきたらー
それは、共同生活の根っこを揺るがすものかもしれません。
FIREに違和感を覚える理由
FIREという言葉が日本で広まるにつれて、「働かないこと=勝ち」「働き続けること=負け」という価値観を持つ人が増えてきたように感じます。
労働が“苦役”であり、そこから逃げ切ることが“成功”であるかのように語られることもあります。
でも、働くことは本当に“苦しみ”だけなのでしょうか。
誰かのために動くこと。
誰かの役に立つこと。
その中に、静かな喜びや、ささやかな誇りがあることも、忘れてはいけないと思うのです。
もちろん、過酷な労働環境や、理不尽な職場に苦しむ人がいることも事実です。
だからこそ、「働かなくても生きていける」という選択肢があることは、大切なこと。
でも、それが「働かないことこそ正義」「働く人は搾取されている」というような考えになってしまうのは、“分担の循環”を理解していないからだと思います。
FIREの本質 ─“何をするか”が問われている
FIREの本質は、「仕事を辞めること」ではなく、「自分の時間をどう使うか」という問いにあります。
経済的に自立したあと、何をするのか。
誰と、どんな風につながっていくのか。
その問いに向き合わなければ、FIREはただの“空白”になってしまいます。
海外の一部では、FIREを達成した人が地域活動や教育支援、ボランティアなどに関わり続けるという文化があります。
そこには、「自分の時間を、誰かのために使う」という静かな誇りがあるように思います。
私たち日本人も、「FIRE=役割から抜ける」ではなく、「FIRE=新しい役割の始まり」として考える必要があるのではないでしょうか。
FIREは、「社会との関係を断つこと」ではなく、「自分の意思で役割を選ぶこと」。
その視点があるかどうかで、FIREの意味は大きく変わってくるのです。
「自由」のかたち
私が大切にしたいのは、みんなで分かち合い、喜び合う社会です。
そして大変なときは、みんなで助け合う、優しい社会です。
FIREという言葉に違和感を覚えるのは、そこに“つながり”が語られていないからかもしれません。
「働かないこと」よりも、「誰かのために動けること」。
「自由な時間」よりも、「誰かと分かち合える時間」。
そういう、人とのつながりを、私は大切にしたいと思っています。
FIREを否定するわけではありません。
でも、「働かなくていい」の先ににある、“分担からの離脱”には、少し立ち止まって考えてみてほしいと思います。
おわりに ─FIREを目指す人へ
FIREを目指す人は、きっと「自分らしく生きたい」と願っている人だと思います。
それは、とても大切な願いです。
自分らしく生きるということは、「誰とも関わらないこと」ではなく、「誰かとの関わり方を選ぶこと」なのではないでしょうか。
働くことは、分担であり、つながりであり、貢献です。
その中に、ほんとうの幸せがあることも、きっとあるはずです。
FIREの本質とは何か。
それは、「働かないこと」ではなく、「どう生きるか」という問い。
そして、「誰と、どんなふうにつながっていたいか」という選択。
私は、そんな問いに静かに寄り添いながら、これからも言葉を紡いでいきたいと思います。
