日本人ファーストとは何か

こんにちは。まなびや たぬき堂のたぬきです。

今日は、少しだけ社会的な話題に触れてみたいと思います。

最近、「日本人ファースト」という言葉を耳にすることが増えました。

それは、政治の場面でも、日常の会話の中でも。

その背景に、日本に住む外国人がかつてないほどに増えているということがあります。

そんな中で生まれた「日本人ファースト」という言葉。

その言葉の意味と、その奥にある感情や願いは、どんなものなのだろう?

今日は、そんなことについて深くゆっくりと考えたいと思います。

守りたいものがあるからこそ

私は、日本人の文化や習慣を守りたいと思っています。

それは、排他的な気持ちではなく、長い時間をかけて育まれてきた“生き方のリズム”を大切にしたいという願いです。

日本は、古代からほぼ単一民族によって国家を築いてきました。

その中で育まれた文化、価値観、生活様式――

それらは、私たちの“日常”の中に静かに息づいています。

• 四季を感じる暮らし

• 礼儀や間合いを大切にする人間関係

• 神道や仏教に根ざした死生観

こうした文化は、私たちにとっては”生きるリズムそのもの”なのです。

だからこそ、文化が変わってしまうことに対して、不安や戸惑いを感じるのは、自然なことだと思います。

世界には、さまざまな美しい文化を持った国がある。

そうした独自の文化があるからこそ、一つ一つの国が輝いて見えるのだと思います。

日本の輝きをこれからも守りたい。

「日本人ファースト」は、そんな守りたいものがあるからこそ生まれた言葉なのではないでしょうか。

変化の中で揺れる気持ち

一方で、現実の社会は変化しています。

日本では、出生数が年々減少し、人口構成のバランスが大きく崩れつつあります。

労働力不足は深刻で、介護・保育・農業・建設など、暮らしの根っこを支える仕事に人手が足りなくなっています。

その穴を埋めるために、外国人労働者の受け入れが進んでいます。

また、国際社会の中で、日本が閉じたままでいることはできないのも事実です。

こうした状況の中で、「日本人ファースト」という考えや、「外国人との共生」という考えが出てくるのは自然なことなのです。

だから、たぬき堂ではこう考えます。

この問題は、誰かを否定することで解決するものではなく、一つひとつの問いに丁寧に向き合うことでしか進めないのだと。

私たちにできることは何かを考える

近年、観光地や都市部では、外国人観光客の振る舞いが話題になることが増えてきました。

電車内での大声、列への割り込み、ゴミの分別を守らないこと—

それらは、日本人の感覚からすれば「マナー違反」と映ることもあります。

けれど、それは単に“悪意”によるものではなく、文化や習慣の違いから生まれる、すれ違いなのかもしれません。

日本では、公共の場での静けさや、他者への配慮が重んじられてきました。

それは、言葉にされることは少なくても、私たちの暮らしの中に自然と根づいている価値観です。

だから、それが乱されることに対して、不安や怒りを感じてしまうのは当然です。

では、どうすれば私たちは不安にならないでしょうか?
どうずれば怒らないで済むでしょうか?

その問いを考えることが、私たちがやらなければならないことなのだと思います。

たとえば、京都市では、外国人向けにマナー啓発の動画やリーフレットを作成し、文化の違いを丁寧に伝える取り組みが進められています。

それは、排除ではなく、共生への一歩です。

私たちの文化や習慣を守ることと、他者と共に生きること。

その両方を大切にするために、”伝える努力を惜しまないこと”も、これからの日本にとって静かな強さになるのではないでしょうか。

多様性とは ー文化は尊重、マナーは順応

「日本人ファースト」か「外国人との共生」か――そんな議論の中で、“多様性”という言葉も頻繁に使われるようになりました。

しかし最近では、この言葉が正しく理解されないまま、一人歩きしているようにも感じます。

本来の多様性とは、人々が持つ異なる価値観、人種、宗教、文化などを尊重すること。

一方で、マナーとは、公共のルールや社会の秩序、快適さを守るための共通の約束事です。

ところが今、多様性とマナーが混同され、両者の違いが見えにくくなっていることで、対立の火種になる場面も増えているように思います。

たぬき堂では、「文化は尊重、マナーは順応」という言葉を大切にしたいと考えています。

この視点を持つことで、多文化共存の中でも「譲れる部分」と「譲れない部分」の線引きがしやすくなり、より健やかな共生が可能になると信じています。

少子化と向き合うということ

日本の文化を守るためには、少子化と向き合うことも必要になってきます。

現代の日本は、結婚しなくていいという風潮が年々強くなっています。

それ以外にも、子育て世代の孤立感、経済的不安、働き方の問題など――

それらが複雑に絡み合い、「子どもを持つこと」が難しい選択になっている現実があります。

少子化と外国人労働者は切り離せない関係です。

結婚の自由という考えはもちろん大切ですが、その前に「結婚したい」「子どもを持ちたい」と思える環境づくりをしていくのも、私たち日本人の役目だと思います。

IT化と効率化の必要性

少子化によって労働人口が減る中、社会を維持するには、少ない人数で多くの仕事をこなす工夫が欠かせません。

その鍵となるのが、IT化です。

「業務の自動化」
「クラウドサービスによる運用の効率化」
「デジタルトランスフォーメーション(DX)による働き方の刷新 」

これらは、単なる技術導入ではなく、「人間が本来やるべき仕事」に集中できる環境を整えることでもあります。

そのためには、私たちも「新しい技術を受け入れる努力」や、「ITスキルをアップさせる努力」が必要です。

たぬき堂の問い

「日本人の国であり続けたい」と願うなら、

その未来を支えるための現実的な選択に向き合う必要があります。

• 子どもを育てやすい社会とは、どんなかたちか?

• 限られた人手で、どうやって暮らしを支えていくか?

• IT化は、文化や人間らしさを損なうものなのか、それとも支えるものなのか?

たぬき堂は、こうした問いを、静かに、でも確かに見つめていきたいと思います。

守りたいものがあるからこそ、変わることを恐れず、選び取っていく。

それが、未来の日本を育てる第一歩になるのではないでしょうか。

おわりに 答えのない問いに、どう向き合うか

「日本人ファースト」という言葉に限らず、社会の中には、簡単に答えが出ない問いがたくさんあります。

文化を守ることと、共生すること。

安心を求めることと、開かれた社会を築くこと。

どちらも大切で、どちらも譲れない気持ちがある。

だからこそ、意見が違うときにこそ、相手を罵倒しないことが何より大切だと思うのです。

言葉は、誰かを傷つけるためにあるのではなく、誰かと考えを交わすためにある。

たぬき堂は、そう信じています。

お互いの立場や感情が違っていても、その違いを「攻撃」ではなく「問い」に変えていくこと。

それが、答えのない問題に向き合う唯一の方法なのかもしれません。

「違い」を怖がるのではなく、「違い」を通して、自分たちの文化を見つめ直す機会になるかもしれません。

だからこそ、私はこう提案したいのです。

「守る」と「受け入れる」を対立させるのではなく、“守りながら受け入れる”という選択肢を、もっと丁寧に考えてみませんか?

それは、時間のかかる道かもしれません。

でも、急がず、焦らず、問い続けること。

それこそが、たぬき堂の灯りのように、静かに社会を照らす力になると信じています。

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