戦争と平和 ― なぜ戦争を学ぶのか?

こんにちは。まなびや たぬき堂のたぬきです🦝

先日、8月15日を迎えました。

”終戦の日”です。

この日は、毎年ニュースや特集番組を通して「戦争と平和」を考える大切な機会になっていますね。

けれど、日々の生活の中では、戦争のことを思い出す場面はそう多くありません。

私たちはふだん、学校や仕事、家庭や趣味に追われ、平和のありがたさを当たり前のものとして過ごしています。

だからこそ、この日をきっかけに「なぜ戦争を学ぶのか?」を、もう一度立ち止まって考えたいと思います。

忘れられていく戦争の記憶

戦争を経験した世代は、年々少なくなっています。

実際に空襲を体験した方、戦地に赴いた方、焼け野原を見た方。

そうした人々の「生の声」は、時の流れとともに失われつつあります。

そして、直接体験した人の震える声や、静かな涙に触れることができなくなると、戦争は「過去の出来事」へと薄れていってしまうのです。

私は、戦争の本当の惨禍とは「時間が経つと人々が忘れてしまう」ことにあると思います。

平和は自然には続かない

では「なぜ戦争を忘れてはいけないのか」を考えてみたいと思います。

平和は、空気のようにただ存在するものではありません。

平和は、努力して守り続けなければ失われてしまう、とても壊れやすいものなのです。

でも、戦争から長い年月が経つと、戦争の記憶は必ず薄れていきます。

人々の記憶から戦争の悲劇が忘れ去られたときに、再び戦争がはじまるのです。

人間はそうやって過去に何度も同じ過ちを繰り返してきました。

だからこそ、私たちには「平和を保つ努力」が必要なのです。

それは、声高に叫ぶことだけでなく、「戦争の歴史を学ぶ」ことや、「戦争の悲惨さを忘れない」ことといった、小さな努力から始まります。

なぜ戦争が起こるのか?

戦争はやってはいけないとわかっているのに「どうして戦争は起こるのでしょうか?」

たとえば、経済的な不安や社会の分断が強まると、「敵を作って団結しよう」という空気が生まれます。

また、戦争を知らない世代が増えると、「自分には関係がない」と感じる人も出てきます。

これまでの歴史を振り返ると、そうした小さな芽がやがて大きな戦争へとつながっていきました。

戦争は、誰か一人の暴走で起こるのではなく、多くの人々の「恐怖」や「不安」から始まります。

恐怖や不安が「敵を倒せ」「自国を守れ」という感情を作り出します。

一方で政治に無関心な人は沈黙し、結果的に戦争を容認する力になります。

そうした社会全体の「空気」が少しずつ大きくなり、最後には誰も止められなくなっていくのです。

あれだけ影響力があり人望の厚かった西郷隆盛も、時代の流れと「人々の不安や不満の渦」を止められず西南戦争がはじまりました。

太平洋戦争は、一部の指導者が始めたのではなく、国民の「恐怖・焦り・同調」が大きなエネルギーになり、最後は誰も止められなくなってしまいました。

つまり、戦争は「個人の暴走」ではなく、「多くの人の心が戦争を受け入れてしまう状態」が土台にあるんだと思います。

だからこそ私たちは「空気に流されないで自分で考えること」が大事なのです。

戦争の痛みを学ぶ意味

戦争を起こさないためには、「空気に流されないで自分で考えること」が大事と書きましたが、そのためには戦争の歴史を学ぶことが重要になります。

戦争を体験していない私たちには、戦争は「昔のこと」「遠い国のこと」と感じるかもしれません。

だからこそ、戦争の歴史を学ぶことには大きな意味があります。

被害の現実を想像する

空襲で亡くなった子ども、戦地で倒れた若者、飢えに苦しんだ人々の苦しみを知ることで、戦争を数字や年表ではなく「これは自分の物語でもある」と気づくことにつながります。

「誰かの痛みに気づくこと」「違う考えを持つ相手を受け入れること」「争う代わりに話し合うこと」を学ぶことができます。

平和の価値を再確認する

当たり前の毎日がいかに貴重であるかに気づくことができます。

戦時中には「働く意味」や「家族の在り方」が大きく揺らぎました。

家族と食卓を囲めること、安心して眠れること。

それがどれほど尊いものかを、戦争の歴史は教えてくれます。

「なぜ?」を問い続けること

「なぜ戦争は起きるのか?」

「なぜ人は争いを選ぶのか?」

「なぜ平和は続かないのか?」

こうした問いに、簡単な答えはありません。

それでも、たぬき堂では問い続けることに意味があると考えます。

問いを立てることで、私たちは「忘れない」ことができます。

そして「自分はどう生きるのか」を考えるきっかけになります。

「なぜ?」は、戦争を遠ざけるための心のランプなのです。

今を生きる私たちにできること

今私たちができることはたくさんあります。

「 戦争を経験した人の声を聞く」「平和祈念館や資料館を訪れる」「 一冊の本を手に取る」「 家族や友人と戦争について話してみる」

その一つひとつが、未来をつくる行動になります。

また戦争について、原爆や空襲、特攻など、日本国内のことについて語られることは多くありますが、日本国外でも戦争で苦しんだ人はたくさんいます。

海外従軍者は、常に命の危険に晒される恐怖と、加害行為への罪悪感などから、精神障害になる人がたくさんいました。

満州や朝鮮半島からの戦後引揚者は、命がけで帰国しましたが、住む場所もなく、飢えや差別に苦しみました。

親を失い中国現地に取り残された中国残留孤児は、言葉も文化も違う中で育ち、帰国後は日本の文化に馴染めず、孤立しました。

そして海外から帰国した人々は、その経験を「語ってはいけないもの」とされ沈黙を強いられ、孤独に生き続けたのです。

そうした様々な立場で苦しんだ人がたくさんいたということ、現実に起きたことを私たちが学び、教訓とすることで、未来の平和を支えていくのだと思います。

さいごに

たぬき堂を始めたきっかけのひとつに、「忘れられてしまうものを、問いなおしたい」という思いがありました。

戦争もまた、忘れてはならないもののひとつです。

生きていると、「なぜ働くのか」「幸せとはなにか」など、答えのない問いに出会います。

そして「なぜ戦争は起きるのか」という問いもまた、私たちが考え続けるべきテーマです。

戦争は過去の出来事ではなく「未来への問いかけ」です。

私たちはその問いにどう応えるのか。

その姿勢こそが、平和を守る第一歩なのだと思います。

お盆の時期は、先祖を想い、命のつながりを感じる時間でもあります。

その命のつながりの上に、私たちの日常があります。

平和は、自然に続くものではありません。

学び、思い出し、問い続けることで守られるものです。

この問いを忘れないことこそが、平和を守る最も大切な営みだと、私は信じています。

なぜ歴史を学ぶのか」について綴った投稿も置いておきます。
よければ、読後の余韻の中で、そっと読んでみて下さいね🦝

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